ESSAY

芸術って何だよ?印象派とマイケル・ジャクソンとノブレス・オブリージュ

飢えている人の前で、「モナ・リザ」と「ひと欠片のパン」のどちらかを選べとなったら無論、後者を選ぶに決まっています。

 

モナ・リザを選んでそれを売りゃ良い、なんてこと思い浮かぶはずありません。

なぜって頭では分かっていても、そうする体力がまず無いのだから。

 

芸術は人を救う!

なんて言ったりしますが、それは精神的なニュアンスとしてです。

 

本気でそう喧伝する人は、唯心論の迷路に迷い込んだ理想主義者に過ぎません。

つまり、現実が見えていない。

リアルな生活の中には、芸術なんぞに人を救える力、微塵ともありません。

 

芸術というのは衣食住の余裕があって初めて出来ること。

ラスコーやアルタミラの壁画にしろ、狩猟で得た満腹感を経験がと体力があったからこそ絵が描けたわけです。

そして、「それをまた味わいたい」という想像する余裕もあったからこその産物です。

なぜ日本人は印象派が好きなのか?

千住博著『芸術とは何か』という本があります。

 

芸術の無力さ限界さについて触れられていないのは惜しいのですが、ふだん我々が漠然と抱く「芸術って何なの?」という147の問に対し、日本画家の自負に見合った答えをシンプルながらも含蓄のある言葉で記されています(ただし著者が画家な為、芸術といっても9割方美術についてに絞られているので留意が必要)。

 

日本画と西洋画について素材の違いから説明され、またその歴史的経緯、創作方法、美術教育、その価値と価格など多岐にわたって書かれています。

著者が選ぶ世界と国内の絵画と美術館ベストは有名所が多いものの、初心者にとってはかなり参考になります。

日本画ブームが続いているので、おさらいとしても最適ですね。

 

秀逸な見解だと思ったのは、問128の「なぜ日本人は印象派が好きなのか?」。

 

本書によると印象派の発端は、写真術が生まれ絵画は終わった存在と見なされた19世紀末、次の美術はどうするか悩んでいた作家達が目にしたのは、極東の地から包装紙として使われていた浮世絵にはじまります。

周知の通り、彼らにとってそれはそれはショックだったでしょう。

そのショックは、エキゾチシズ以上の何かであったはずです。

浮世だっていうのに日常の風景をこんなに平面的に、そしてデフォルメの限りを尽くして劇的に描いているのがあるとは……

 

それをインスピレーションにして、普段目にする風景を各作家の技術で心に浮かんだ感覚で描く、すなわち印象派が生まれた。

したがって、印象派のネタ元のひとつになったのが我が国の浮世絵となります。

だから印象派は浮世絵の親戚、と言っても過言ではありません。

 

そんな背景があるので、文明開化の流れで西洋画が紹介された際、キリスト世界や貴族の絵よりも、日常の風景を描いた「印象派」の方が当然親しみやすく、それが今に至るまで続いているということです。

 

ちなみに本書では記されていませんが、印象派というのは日常の風景を中心に据えたという画期的なものであったと同時に、20世紀になって「市場への投資」すなわち「経済絵画」の舵を切ったものでもあります。

 

ご存知のように、ゴッホを始めとして桁違いな価格で取引されて来ましたね。

その意味で印象派とは、「資本主義が生んだ産物」とも言えるのです。

アニメを芸術にされては困る

本書の惜しい点を挙げると、問126「アニメは芸術か?」の箇所。

 

それに対して著者は、「芸術である」と即答しているものの軽く記すに留め、挙げられているのはやはり宮崎駿であり、著者自身の趣味に偏っている。

つまり、アニメへの理解が浅い。

 

アニメを映画と関連した芸術として見た場合、宮崎ひいては黒澤明以上の演出力を持つであろう富野由悠季や出崎統等も列挙されるべきなのですが、残念ながら著者のアニメ・リテラシーでは彼らの作品を観たことが無いんだろうな、と思ってしまいました。

 

もっとも、「アニメは芸術だ!」なんて富野由悠季に向かって言ったら、

「あんなオモチャ屋の手先にされた愚民が作ったモンを、アカデミズムに侵食された芸術なんざと一緒にされては困る」と天邪鬼に答えるでしょうが。

平和への主張と表現の限界

「人類普遍的な共通理解による美の受容」

 

そんなもの果たしてあるのだろうか、とわたしはよく考えます。

人間というのは環境に絶対的に影響されて反応する生き物であり、美を感じる対象もそれに拠る。

だとしたら、「普遍的(絶対的)な美」なんてもの、無いんではないか?

 

だからか、「芸術は素晴らしい!芸術で世界を平和に!」なんて叫んでいる人を見ると、そんなこと簡単に口にするんじゃないよ、とあきれてしまいます。

「反戦!反権力!」と叫びながらライブをするバンドは、まあ昔からいますが、その姿勢には引いてしまい、不快ですらあります。

芸術をムーブメントとしての利用するのは、ナチスと同じではないか。

それがたとえ平和を訴えるものであっても。

 

ただし、彼らがそう言ってしまう気持ちは、分からなくもないです。

 

冒頭に述べた通り芸術というのは、基本的に豊かな状態でないと味わえないし、共有もできない。

ニワトリが先か卵が先かで言えば、ニワトリ(安定した状態)が先で、結果として卵(芸術)が生まれ得る。

安定した状態がないと、卵は生まれない。

だから、多くの表現者(芸術家)は世界の平和(安定)を望む。

「わたしの表現を邪魔するな!」

とでも言わんばかりに。

 

逆に言えば、彼らは自分たちの「表現の限界」なるものを自覚/無自覚的に知っているのです。

芸術(表現)なんか、何の役にも立たないんだ……と。

マイケル・ジャクソンとノブレス・オブリージュ

「それでも自分は、世界を変える!」

という意志の元、表現活動をする人がいます。

超一流とされる人は、例外なくそんな気持ちを持っています。

 

たとえばマイケル・ジャクソン。

遺作にして集大成たる『This Is It』を観ればよく分かるのですが、彼は心の底の底から「分の歌で、世界を変えられるし救える!」と信じていた。

 

「金も名声も腐るほど得た。それでも世界は自分が望むような平和な世の中じゃない」

という屈折した思いを経て彼が向かった先は、

「だから、自分が持っている力全てを使って平和な世の中にしたい!」。

その意志の結果として、彼のパフォーマンスはより超越したものへと昇華されたわけです。

 

まさしくノブレス・オブリージュの塊であり、彼自身の「表現への起爆剤」。

 

マイケルほどと言わなくとも、こんな超越した意識、表現者は絶対に持っておくべきです。

超意識高い系とでも言いましょうかね。

上等じゃないですか。

「芸術」は「芸能」でええじゃないか

付加になりますが、そもそも「芸術」という言葉、変じゃないですか?

 

こんな大仰な言葉が時代錯誤な権威臭さを助長し、絵画や音楽などの理解を遠のけているのではないか。

そもそもって何だよ忍者かよ、とこの言葉の生みの親である西周に言いたくなります。

 

じゃあ何が当てはまるのだろうかとなると、もういっそ「芸能」で良いと思います。

 

安っぽく聞こえますか?

そう感じる人は相当「お芸術」の権威にひれ伏せったスノッブさんなんでしょうね。

でも「表現する」という意味では同じなんですから、わかりやすい方が良いに決まってるじゃないですか。

(ついでに「哲学」も西周によるのですが、これは直訳的に「愛知」とすべきです。愛知県はそれで町おこしができて、かつてのアテナイのようになるかもしれませんね)

 

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