ESSAY

文化の平仄 非喫煙者によるタバコ擁護論

 

地元の友人が、久しぶりに京都の私を訪ねてきてくれた。

 

久しぶりといっても、実はこれがもう5回目になる。いまさら、寺だ、抹茶だ、というのも芸が無い。そうなると観光客向けではない、自分がよく行くような場所で時間を潰すということになる。

 

それで、どこへ行くのか。

 

喫茶店である。

 

京都の喫茶店

京都という街は「古都」という冠が示すように、一般にはまだ明治維新の到来していない世界線にあると認識されている。

 

太陰暦が機能している、人力車が市街地を往来しているなど、ある程度は間違いなく事実だ。

(近所の蕎麦屋は旧正月に年越し蕎麦を販売している)

 

 

しかし、案外住人の好みはハイカラなところがある。パンとコーヒーの消費量、実は京都府が日本一だったりする。老舗の喫茶店でモーニングを、というわけである。

 

 

まち歩きしてみると、確かに至る処に喫茶店がある。

 

ドトールやスタバといったチェーンもさることながら、戦前からあるような老舗やこだわりの個人経営まで、歩き疲れたちょうど良いタイミングにはかならず何かあると言っても良い。

 

有名店になると休日はむしろフラストレーションを啜りに行くが如きだが、平日昼の空いた時間にいつでも足を運べるのは、地元住民の特権だ。

 

煙草がなければ成立しない時間

友人が喫煙者なので、自然とタバコの吸える店を探し求めることになる。禁煙分煙のご時世ではあるが、ご時世に流されるようなヤワな街ではない。

 

個人経営の喫茶店には、まだまだ喫煙者のための空間が大切に残されている。

 

断っておくが、私自身は喫煙者ではない。しかし、タバコの煙自体はそこまで嫌いでもない。喫煙者と一緒のときは、むしろもらい煙草で付き合うこともある。空間が隔てられるのも、相手に我慢を強いるのも馬鹿馬鹿しいからだ。

 

 

タバコに合うコーヒー、というものがメニューに並んでいる。それを注文しつつ、紫煙をくゆらせ、哲学のニワカ談義に花を咲かせる。文章にしてみるとなにかこう薄っぺらいし、実際内容も薄っぺらいものだったと思う。

 

しかし、そうして過ごす時間は、実にこうしっくり来るというか、これ以外の様式があり得ないようにも感じたのである。

 

 

煙草の害は至るところで喧伝されているし、実際、身体に良いものだとは思わない。私の祖父はヘビースモーカーだったが、70を前にして肺がんで亡くなった。

身体的な害ばかりではなく、喫煙スペースにただいるだけで服や髪の毛に匂いがつく。

 

よくよく考えると何もいいことはないわけだが、それを差し置いても、あの時間は煙草がなければ成立し得なかった。それは確かだ。

 

おそらく問題は、嗜好品としての煙草ということにはない。これは言わば「文化」の問題なのだ。

 

煙草と文化

コーヒーと煙草という環境が、誰に言われるでもなくストンと、ある種の「様式」として、私には受け取られたのである。

 

つまり、煙草は嗜好品としてだけではなく、ある文化のコンポーネントとしても機能していたわけだ。

 

たぶん、煙草を吸い始める人にしろ、そういうものではないかなと言う気がする。

 

成人式で久方ぶりに帰省したとき、喫煙コーナーにたむろする連中が同級生達であることに気づいて、愕然としたことを思い出す。もちろん、煙草をはじめる理由には、好奇心やストレス発散もあるだろう。

 

しかし、地元の場合、「まわりが吸っているから」という環境的要因も多分にはたらいているものと考えられる。

 

つまり、「煙草を吸う大人」ということが、地元にとってはひとつの文化なのだ。

 

ある文化様式の危機

だから、禁煙ということは、非喫煙者が思う以上に難しいことなのではないか。

 

そしてさらに言えば、禁煙化という世間の風潮は、ひょっとしたら、ある文化様式の絶滅を意味しているのかもしれない。

 

煙草が担っている文化は、禁煙空間の広がりとともに行き場を失ってしまう。

 

私が友人と過ごした浅はかだが充実した時間は、純然たる善意によって、その可能性を根本から絶たれてしまう。

これは不幸なことだ、と私は思う。

 

もちろん、文化や伝統は時として悪癖や旧弊と区別がつかない。

 

 

「これまではそうだった」

 

ということは、

 

「これからもそうである」

 

 

ということを、なんら保証するものではない。

 

 

しかし、多様性を認める社会であるならば、お互いを尊重しつつ「悪」に居場所を与えることも必要なのではないか。

 

もちろん、他者に害を及ぼさない範囲でであるが。

 

 

 

PROFILE

佐藤宗大

栃木生まれ、京都在住。ブラームスの流れる喫茶店を開きたい。

https://twitter.com/T_Sato_0626

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