ESSAY

オタクが文化を殺す? —カネと文化とアベノミクス—

何と言っても、とにかく世の中カネである。そして、このカネと最も腐れ縁にあるのが、カネを忌避するはずの宗教家と芸術家であるというのは、どうにもこうにも皮肉なものだなあと思う。

 

 

先日のネットニュースで、「稼ぐ文化」というワードが一部界隈を賑やかしていた。文化庁曰く、平成30年度は日本の「稼ぐ文化元年」になるという。詳しい話は元記事を見てもらうとして、この「稼ぐ文化」という言葉が、”文化的な”人々のアンテナにひっかかっている向きがある。

 

「文化をアトラクション的にしかとらえていない」

 

「文化の消費や消耗を推し進めるつもりか」

 

「なんと下卑た発想」

 

もちろんこれがすべてというわけではないけれど、こういう否定的な意見があったのは確かだ。人文学の危機、ということが最近よく言われているが、今回の文化庁の「稼ぐ文化」についても、おおよそそうした文脈で受け取られているものと思われる。

 

この国の文化が危機に瀕しているのはその通りだと思うが、私は、「稼ぐ文化」へのこうした否定的な理解はまったくの的外れであると指摘したい。「稼ぐ文化」、という言葉の向こうにこそ、人文学プロパーが意識し育てていかなければならないことがあるのだ。

 

まず、「稼ぐ文化」ということで、文化庁がなにを目指しているのかを正しく理解しなければならない。

 

文化庁が文化芸術を経済の中に取り入れていこうとしているのは確かだが、それは、「売れる文化を国策で作る」ということでもないし、ましてや、「カネにならない文化を切り捨てる」ということでも(今のところは)ない。そうではなくて、文化庁は、「文化でカネが回るようにしようぜ」と言っているのだ。

 

記事にあるように、日本の文化事業はその多くを民間のカネで賄っている。というか、どこの国であろうと、どの時代であろうと、文化を支えているのは、それを楽しむ人々のカネだろう。古典芸能や文化財にせよ、かつてはパトロンなり願主なりが存在し、そうした民間のカネで、文化とは等しく保たれてきたのである。補助金削減、というのは、即座に公権力の関心の薄さを示すものではない。公金である以上、使い道と量には限界がある。ただそれだけの話だ。

 

つまり、現代の文化の問題は、公権力の関心や支援の薄さ、という政治的な点にあるのではない。そうではなくて、大口の支援者なき時代に、どうやって必要な資本インフラを整えるかという、徹頭徹尾経済的な性格を有するものなのである。

 

文化芸術というマーケットにはもっともっとカネをよびこんだほうがいい、いや呼び込もうじゃないか。そう文化庁は言っているのだ。言い換えるなら、問題は金が無いことではなくて、マーケットが狭いところにある。かつては狭いマーケットでも、大きなお金が動いていた。だから、文化芸術は好事家の世界で十分に生きていくことが出来た。しかし、現代はそうではない。

 

記事にあるように、施策が多分に町おこし的だったり、あるいはインバウンド受けを狙っていたりすることも、こう考えなくてはならない。つまり、こうでもしないと、もはや文化にカネを流すことは理解されないのだ、と。そして、それを「浅はか」と何と言おうと、そこからはじめなければならないところに、今の日本の文化水準がある。

 

「1」でも興味のある人間であれば、入力次第でその関心は「10」にも「100」にもなるだろう。

 

しかし今必要なのは、「0」を「1」にするという、無からの創造なのだ。

もっとざっくばらんに言えば、どうであれもっと「ニワカ」が増えていかなくてはならない。

 

文化を楽しんでいると、ついその外の世界が見えなくなってしまう。そして、どうしてもその愛情を、知識の多寡で図りがちになってしまう。理解する、という仕方での楽しみ自体を否定するつもりはない。しかし、そうした「玄人好み」な姿勢が、「素人」の参入にあたって、大きなハードルになっているのも事実だ。その結果、どれだけの「1」が失われてしまうことだろうか。文化の支え手である好事家が、かえってその文化の縮退を招く。

 

これを私は、「オタクが文化を殺す」と表現している。クラシック音楽など、この好例ではなかろうか。

 

こんな誰も得しない逆説を招くくらいなら、むしろ単に「かっこいい」とか「かわいい」とか、ミーハーに楽しんでもらうほうがどれほど良いことかと思う。関心は、いつかかならずカネになる。ほんのミーハー心が投じた数百円が、いつか数千円となり、数万円となり、そして文化マーケット自体が活気づく。そして活気づいたマーケットが、また新たなミーハー心を芽生えさせる。まさに文化における「アベノミクス」だ。

 

おや、最後の言い方はある種の層を刺激してしまっただろうか。いずれにせよ、この「アベノミクス」の命運は、文化を受容し享受するすべての人間の上にかかっている。

 

文化の未来をどうしたいのか。それを考える上で、「稼ぐ文化」は、むしろ最後の希望と言えるのではなかろうか。

PROFILE

佐藤宗大

栃木生まれ、京都在住。ブラームスの流れる喫茶店を開きたい。

https://twitter.com/T_Sato_0626

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