スケートボード 路上の言語

ESSAY

『路上の言語』Skateboarding is not a Sport

『棒馬としてのプール』 後記

 

Rで生まれたオーリーがやがてフラットでもできるようになったことで、さまざまなものを飛び越えたり飛び乗ったりするようになった。ここで初めてスケーターは「段差」という「部分」に注意を向けたのだ。ものを飛び越えるオーリーがまだなかったとき、段差は避けなければいけないものであり必然的にそれは利用できないものであった。

 

オーリーが誕生するまでの間、スケートボードに乗ったサーファーは都市に出たからといってすぐさま段差に注意を払い利用しようというようにはならなかった。利用できないものとして考えられていた理由は、なによりも海というひとつの大きな水の塊の中に段差というものが存在しなかったからだ。そのためサーフィンの文化に「段差」という概念が生まれることはなく、また都市でサーフィンの代替物としてスケートボードをする際にも段差を利用するという前向きな注意を向ける意識がなんのきっかけもなく生まれるはずがないのだ。スケートボードを使えば都市の中でサーフィンのような感覚が味わえるということに夢中で、そこから新たな概念を派生させるほどには他のいろいろなものに目を向け意識を広げていたわけではなかった。

 

都市には様々な段差がある。のぼる、跨ぐ、腰かけるといった動作をベースに階段や縁石、ベンチに注意を向け見方によっては花壇も段差になることに気付く。オーリーで届く範囲の高さのものすべてがスケートスポットの対象になり、また、場所によっては飛び乗った後は飛び降りることになるので、段差をきっかけとして「乗る」ことだけでなく「降りる」という動作が発生する場所もスケート・スポットの対象となった。オーリーができるようになったことで、これらのベンチや花壇のフチがプールのフチと同様の作用を与えてくれることに気が付く。この気づきにより建築物のフチとプールのフチを重ね合わせスケート・スポットの対象はバンクやプールの面の形状に加えて無数に存在する建築物のフチも対象となった。

 

これがスケーターと都市との新しい関係の誕生であり、ストリート・スケートの歴史が始まった瞬間だ。スケートボードという「閉じた世界」ではあるがプールという単純な形態は棒馬のように新しい意味を持ち、「無数の記憶と残像を招き寄せ」たのだ。

路上の言語『Skateboarding is not a Sport』

なぜスケートボードはこのような発展を遂げたのか。

 

陸地でサーフィンをやろうとしたこと。プールに波を見たこと。私にはこのことがとても大きく大事なことに感じられ、ベルクソン、ゴンブリッチを引用しただけではまだ足りない気がするので、もう一度これらの点とそこから広がっていったものを違う角度から掘り下げてみたい。

 

まず、陸地でサーフィンをやろうとしたこと。これは「模倣」である。サーフィンの模倣をする場所は都市なのでサーフボードは使用できない。となるとサーフボードの代わりが必要になる。そこで代替物にスケートボードが選ばれた。似ていると思ったから本格的に模倣しようと思いバンクやプールを発見したといえるし、もしかしたら模倣しようと思っていたところにちょうどよくスケートボードが表れたのかもしれない。唐突ではあるが、ではなぜ、サーフィンの模倣から始まったものがその後560年程経って世界中に広まり、多少の誤解を含みつつオリンピックの種目に選ばれるほどに存在が認知されたのか。それは「スゲー楽しかったから」に決まっている。

 

楽しいという快楽を求める行為こそが『遊び』の原点だ。多くの文化は楽しさを求める行為から生まれた。

遊びというものは、純生物学的な行動の、若しくは少なくとも純粋に肉体的な活動とでもいうものの、限界を超えている。すなわち、遊びは何らかの意味を持った一つの機能なのである。

遊びのなかでは、生活維持のための直接的な必要をこえて、生活行為に「ある意味」を添えるものが「作用し(ルビ:プレイ)」ているのである。どんな遊びでも、何かの意味がある。

引用:ホイジンガ『ホモ・ルーデンスP16

スケーターもサーファーも「楽しかったから」というそれだけの理由で、ただの板にタイヤが四つついたものを使う遊びを世界中に広め文化にまで発展させた。そのような状態に行きつくまでの間に数多くの人間が滑ってきたわけだが、彼らはみな等しくスケートボードというものから与えられる「なにか」に楽しさを感じていた。楽しさは時代を越えても変わることなく一定してその「なにか」から生まれ、多くの人々を魅了していった。「なにか」は楽しさを与えるだけでなく、スケーターにスケートボードを通してなにごとかを感じさせ感じたことをスケートボード以外のものにも広げ生活に密着したものになった。やがて「なにか」は視点の中心となる。「なにか」は生活維持のためにはまったく必要ないが、

『生活行為に「ある意味」を添えるものとして「作用し」ているのである。

どんな遊びでも、何かの意味がある。』

 

※これ以降、サブタイトルとして『Skateboarding is not a Sport』という言葉を使うが、これはConsolidated Skateboardsというデッキ・ブランドが発している一貫したメッセージである。この項を通してスケートボードがスポーツではないことを証明するため、このメッセージを借りる。

PROFILE

栗原 啓輔

スケートボード研究家/スケート歴20年 (写真家)

https://twitter.com/kuriharakeisuk

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